ムスリム、特にアラブには善人認定はものすごい効果があります。
バザールでエジ プト人からふっかけられたときも

「君はこのバザールで長い こと店を営めて信用されているのは
アッラーの教えに従った善人だからに違いない。
善人ならば信用を大切にし、喜捨を行い、公平な取引をするだろう。
たとえ異教徒相手でもアッラーの御心に叶わない行いをするならば、
バザールの一等地で商売をすることは叶うまい。」


こ れで現地人価格wwwwwwwいやほんとこれは彼らとの交渉の基本ですわ。
この辺の手練手管は商社が得意とするので、
イラク派遣隊もサマワの有力者をことあるごとに善人認定して
子供たちにサッカーボールを贈ったり宣伝して回ったそうです。

あの地域は名誉が局面に よっては実利を上回ることがあるので、善人認定をして宣伝するとそのように振る回らなければならないとか。

しかも本人にとっても「日本人が○○をアッラーに敬虔な善人と言った」
という名誉はものすごくうれしいので、自衛隊の護衛にサマワの自警団が集まって「日本人は俺たちが守る」という椿事まで発生しましたとさ。

逆に名誉をおとしめるとホメイニ師みたいに
アサシン動員して殺したりもしますが。
70年代にもっとも影響を与えた日本のグラフィック・デザインというと、まず横尾忠則をあげる人が多い。それは当然だが、彼と同じくらい、一般のレベルで はもしかしたら横尾さん以上に強い影響を日本中に振りまいたのが水森亜土、通称亜土ちゃん(亜土たんと呼んでいた人もたくさんいた)だろう。

ジャズ・シンガーであり、レビュー・クイーンであり、イラストレーターであり、油彩画家でもある亜土ちゃんは、そのあまりにマルチな活動ぶりに、かえって過小評価されてきたきらいがある。

テ レビでおなじみだった、あの歌いながら透明ボードに両手でササッとかわいい絵を描いていくパフォーマンスは、まるでマイケル・ジャクソンのムーンウォーク のように、当時の日本中の子供たちをプチ亜土ちゃん化したものだった。いま考えると、あれが日本のグラフィティの、もっともパワフルなオールドスクール だったような気がする。そこらの商店街の壁とかに、アメリカの丸コピーのグラフィティをスプレーして得意になってる若者は、亜土ちゃんのオリジナリティを 見習ったほうがいいかもしれない。

日本人はなぜ勤勉か

 ヴェーバーの学説は、社会科学の定説ですが、それなら日本人はなぜ勤勉なのか、宗教(特にキリスト教の信仰)を持たない日本人がなぜ資本主義を成 功させたのか、という疑問も湧いてきます。この疑問には、ふた通りの解答が可能です。ひとつは、日本人は表面上宗教を信じていないようにみえるが、実は宗 教に等しい信念を持っているとするもの。もうひとつは、日本人は宗教を信じていないからこそ資本主義で成功したとするもの。
 前者の代表は、山本七平の仕事でしょう。彼は『勤勉の哲学』を著し、禅宗の鈴木正三や心学の石田梅岩ら江戸時代の思想家に日本人の勤勉の思想的ルーツを発見しました。そして、それをベースにした日本人の暗黙を行動様式を、「日本教」とよんだのです。
 後者を明確に主張した学者はいませんが、日本人が、営利を禁止する宗教的ルールを知らないのは確かです。士農工商の身分秩序は、明治政府の命令であっという間になくなりましたが、インドのカーストならこうは行きません。
 ちなみに、カースト制を否定する宗教として、シク教があります。グル・ナーナク(1469-1548)の創始したシク教は、ヒンドゥー教もイスラム教も ひとつの真理を説くと教え、聖職者を認めず、職業労働を重視し、勤勉で識字率の高い教団をつくりあげました。パンジャブ州を中心に1400万人、ターバン を巻く、鉄の腕輪をする、など独特の服装でひと目でわかります。イギリスのインド統治まで独立を保っていたのですが、インド/パキスタン分離のあおりで独 立をはたせず、独立運動が続いています。

resume10 (via raitu)

 団塊世代の人々にとってのマスコミって、西洋社会での教会に近いんですよ。
 1、生活に異常なまでに密着
 2、自らの思想信条をその場の物に押し付ける。
 3、何も考えずにそうだなと思い込む。
 ↑もう、完璧です。

 マスコミ政治介入の弊害について、「教会の政治介入の歴史と弊害」と考えると、もう、見事に、
符合する。
 とにかく、無責任に介入して、起きた事に対して、全く責任を取らない。
 そして、自分だけは、何も無かったように生き延びようとする。
 「間違ってました。すいません」
 この一言も無い。

 やがて、キリスト教に「プロテスタント」って宗派が生まれるんです。
 文字通り「抗議する者達」って意味。
 彼らの開祖でもある、マルティン・ルターがまずやった事は何か?
 当時、ラテン語でしか書いてなかった聖書をドイツ語に翻訳し、庶民に広めたんです。
 今でも、プロテスタントにとって、最も重視するのは、聖書のみ。
 ヴァチカンで祭られている「権威」を無視する訳じゃないですが、重視しません。

 でも、私達みたいなネット右翼勢力と同じなんですよ。
 聖職者だけがラテン語で守っていた聖書という「情報」を、誰でも触れられる様にした。
 重視するのは確実な「情報」のみ。
 2chだと、いかに凄そうな事を言っても「確実なソース」を提示しないとマトモに相手にされない。
 テレビという祭壇で祭られている「コメンテーター」なる「権威」の話は情報として書き起こしたり、
時たまアップされたりで、無視してる訳じゃないが、重視しない。

 私達、実は「プロテスタント」なんじゃないかと思ってます。

うつろう

うつろ

うつ